



北へ進む新道と上の道を行く旧道。雪で曲がった道標
静かな新道。沢が渡れないときは巻道で
尾瀬の思い出
新幹線上毛高原駅は谷川岳の土合駅から約20 kmの南にあり,
上越線沼田駅を経由して, 尾瀬への出発点として利用されている。
沼田駅からの道は, 昔は長い時間がかかり満員の登山者を載せて
バスが運転された。道幅が狭く車の行き違いがあって, 砂利敷か
泥の未舗装だった。1)
大清水は尾瀬沼の群馬県側入り口にある。尾瀬沼までは山越え
であり, 歩いて約3時間かかった。石清水は水が湧いて流れ落ちる
ところで, 休憩の場所に良い。急坂を三平峠で越えると湖畔が広がり,
尾瀬沼の長蔵小屋があった。そこからはポンポン蒸気船で尾瀬沼を
対岸の沼尻へ渡った。沼上から見ると, 燧ケ岳は尾瀬沼から複数の
ピークを聳え, 子どもの眼には大きな山だった。
ところで, 6月の水芭蕉やニッコウキスゲが美しい尾瀬沼で,
環境保護が長蔵小屋主により始まった。社会的エコロジーの
高まりがあり, 尾瀬ヶ原への東電ダム計画は50年後の1966年に
事実上中止になり, 尾瀬沼の渡船は翌年に廃止された。尾瀬ヶ原
よりは大きなダム建設の時代であった。
昼から「ナデッ窪」 (なだれの巣) と呼ばれる日陰の急登を
した。深く掘れた道は覚えてはいるが, この登りは3時間以上
かかった。頂上は噴火で作られた双耳峰であり, 東北地方と
以北において最高峰である (初めて知った)。二つの頂上は
柴安嵓と俎嵓であり, 道順によると東側の俎嵓に登り, つぎに
西側の柴安嵓になる。眼下には先ほど渡った尾瀬沼, これから
行く西の尾瀬ヶ原が見下ろせた。
しばらく休憩してから, 柴安嵓から赤田代へ向かう手入れ
されていない急な道で, 細かい礫が崩れる暗い道だった。
温泉小屋へ続く歴史的な道は, 平成8年に廃道となった。
地理院地図を見ると, 燧ケ岳から赤ナグレ岳よりはるか手前
で赤田代へ続く道は消えている (Gallery830 第2図)。
温泉小屋には本物の温泉があり, カルシウム硫酸塩冷鉱泉の
摂氏24度が源泉である。その晩御飯では野草の天ぷら - 人参,
玉ねぎとふき, 海苔の天ぷら - は, 以来家の食事メニューになり,
そして思い出であった。2)
翌朝の尾瀬ヶ原は秋のよい日和だった。湿原から静かに流れ
落ちる平滑ノ滝を過ぎ, 下流にある堂々と落ちる三条の滝では
飛沫を浴びて見た。三条の滝までは片道で1.5 kmくらい。
一度宿へ戻り, 荷物を受け取り出発した。3)
尾瀬沼からも直接に来れる見晴十字路を右に曲がり, 尾瀬ヶ原
を進んた。もう一つの南の入り口に繫がる龍宮十字路で休んだ
(バスは廃止, Note 5)。ここの龍宮と呼ばれる現象は, 川の水が
一度は消え, 少し離れたところで水が湧き出る。3度目で山ノ鼻
から東へ尾瀬ヶ原を横断した初夏午前の晴れたときに, 龍龍現象
で水が湧き出るところを確認した。ところで, 2列並行の木道は
右側通行で, 1列のときは登り方向が優先であった。
至仏山と池塘との調和が非常に美しい中田代に着いた。
あるとき初夏のやや盛りを過ぎた水芭蕉に, 至仏山が一緒に見え
写真を撮影した。その次は, 樹林が両方から尾瀬ケ原に入り, 湿原
が非常に狭くなった上田代の牛首に着いた。初めの秋は曇っていて,
遠い景色の記憶はなかった。しかし, 川沿いの木々の紅葉, そして
ぽっかり眼をあけた池塘群が綺麗だった。植物ごとに色の違いが
わかる池塘をすぐそばまで近づき, そしてしばらく休憩した。
いまでは木道から向こう側へは入れない。
山ノ鼻近くでは川が氾濫したところがあって, ズック靴が地中に
潜った。山ノ鼻に着いて, 天皇が泊まられた「小屋」を親が選んだ。
私たちが泊まったのは満員で, 粗末な夕食を出す "小屋" だった。
今も数百円安い宿泊料金で山ノ鼻地区の2番目に表示してあるが,
建物が古く隣部屋の音が聞こえる等。1番目の美しいシャレ―造り
の至仏山荘 (東電系列) は当時からあり, 私は2度宿泊した。4)
最後の日は, 至仏山に2度登った。東向きの尾瀬ヶ原では穏やか
だが、反対方向を見ると崖が切り立っていて, 非対称な山容である。
白馬岳の東斜面の崖と同じである。秋が深まってきたときであり,
霧の中に高山植物が少し見られた。今は周回が反時計周りと決め
られ, 頂上から山ノ鼻へは降りられない。山の植生を尾瀬湿原に
持ち込まないためである。
コースを半分周ると, 最低高度である鳩待峠に着いた。林道で
あるが, このときはバスは来でいなかった。標高を上げていき,
傾斜湿原の横田代に, そして湿原の広がるアヤメ平に着いた。
初夏はあやめが綺麗というが, 秋は一面が枯れた草原だった。
すぐに富士見平に着いた。十字路から南に下る山道を, 富士見下
にあるバス停まで寒い雨を歩いて行った。5)
3度目の尾瀬訪問では, 上毛高原駅から戸倉へ着き, バスに
乗り継いで鳩待峠に入った。快晴だった。1時間ほどゆるい下り
の坂道を行くと, 湿原に入り日陰には水に浮かぶ幾つかの水芭蕉
があった。山ノ鼻の至仏山荘にザックを置いたのは午後2時くらい
か?午後の光を浴びた上田代において, まばゆい湿原のむこう
には燧ケ岳があった。
翌日は尾瀬ケ原を横断して, 狭い段小屋坂で300 mほど登り坂
を行く。一定の高度に達し, 白砂湿原に出て, 沼尻平で尾瀬沼に
入って湿原である。森に入り, 午後の時間に, たゆたう光が湖水
の上で乱反射し続けた。広い草原の浅湖湿原に出て, いま満開で
あるニッコウキスゲの群落が美しかった。長蔵小屋近くで三差路
となり, 北に広がる大江湿原が大きく広がっていた。湖畔のところ
に出て, 静かにたたずむ平和なとき。
いま一番美しかったのは, 長蔵小屋の近くの尾瀬沼のほとり
の情景。夕日が西に静かに沈み, 小鳥が小さく鳴きながら
大きな空がセピア色に染まりゆく。鳥が鳴き止み, 夜があたりを
包み込む。きょうの長い一日が幕を閉じる。
今は観光地化であり鳩待峠はマイクロバスが乗り入れている。
昔を知っている登山者には, 山を越えて見た尾瀬沼と尾瀬ヶ原
それぞれには, 小さな思い出があった。
土合駅上り線の駅舎
462段+20段, 10分間の上り坂 (下を見ている)
土合駅下り線から発車した電車 (単線)
Note:
1) 現在沼田駅から大清水へのバスは8:45から13:05の5本, 上毛高原駅
からは沼田駅を経由して, 8:15, 9:37, 10:15の3本のみ。鳩待峠は戸倉から
マイクロバスで14:30発, 夏は15:30発が最終,。駐車は有料で, 11月3日
以降は閉鎖される。帰りは, 大清水13:15発で, 上毛高原駅15:09着が最終。
沼田駅着ならば, 大清水が15:55発で, 手前である戸倉からは18:55発,
沼田20:17着が最終である (ネットで検索できる)。
2) 温泉小屋道は尾瀬ヶ原へ直接下りられる道で, 私たちも利用した。
その後は荒れていて廃道となった。尾瀬ケ原に通じる見晴新道もドロ道
でスパッツが必要だそうだ。登山道開拓史―燧ケ岳, 星段吉氏が拓いた
「温泉小屋道」, 公益財団法人尾瀬保護財団 (2025)。
3) 尾瀬沼へ行き, それから沼山峠へ行く場合は1時間20分。バスで
会津田島駅まで2時間20分。今年2026年は6月1日から10月25日。
沼山峠15:10発, 17:30着会津田島駅, 同駅17:48発特急, 浅草21:05着
(ネット検索)。
4) 今の宿泊料金は高くなり、尾瀬では1名2食付きで14,000円 (素泊まり
10,000円)から。素泊まりが2食付きと余り変わらない点に注目しよう。
昔の小屋では1畳2人が当たり前の宿泊であり, 東電小屋では, 定員の
2倍の600人の宿泊者を泊めた話を聞いた。いまは定員90人で尾瀬ヶ原
が楽しめるそうだが, 時を感じる。
5) 富士見下のバス停(と駐車場は廃止された (2017)。アヤメ平の植生
保護が理由で, 南入り口として尾瀬沼の大清水と尾瀬ヶ原の待峠が
アクセスできる。鳩待峠からアヤメ平, 富士見峠は尾瀬の秘境である。
なお, 至仏山北方から景鶴山などは1970年ころに東電系列に持ち主が
変わり, 入山禁止となっている。
土合橋バス停, 白毛門の入口
清水トンネルを出て土合駅。湯檜曽川を上流へ
旧道を一ノ倉沢へ。一時期は車が通った
芝倉沢へ向かって
夕刻の笠ヶ岳と白毛門。上り午後の土合駅は12:41, 14:33, 15:33,
18:19。午後3時半の電車に乗って湯檜曾川を後にした

芝倉沢近くで上越国境の山々


2005 Fall, Fuji Provia 100F、Canon EOS3 28-135 mm

芝倉沢手前の芝倉沢見張所


一ノ倉沢出合い駐車場 (いまは閉鎖)
マチガ沢と一ノ倉沢の間からの朝日岳(左),
笠ヶ岳と白毛門(右)。旧道は川より高いところを行く

幽ノ沢の遠望

[右側ページ] 雲取山と本白根山, 初めての谷川岳, 高校山岳部の芝倉沢, 大学生の谷川岳と茂倉岳,
研究を始めたころ, [5] 初秋の谷川岳と湯檜曽川, [左側ページ] 尾瀬の思い出。



[1] 雲取山と本白根山
奥多摩の雲取山 (2017 m) は東京, 山梨, 埼玉の県境で
ある。私が5歳のときで, 東京都の最高峰の登山最小年齢の
記録, と小屋の若い頭領が言った。三条の湯から徒歩30分で
別の支流に入り, 青岩谷の右岸の青岩鍾乳洞に着いた。まず
三条の湯の人が扉の鍵を開き, 暗がりや狭いところを懐中電灯
により進んだ。約800 m奥の洞窟で, 鍾乳石や石筍のオブジェ
が広がった。しかし洞窟内は非常に寒かったことを覚えている。
山の西側から山梨県の稜線に達し, 自分で登頂した2000 m
峰の雲取山だった。山頂は広く, 稜線の続きに東京方向が
見降ろせた。雲取山荘に泊まり, 埼玉県の北側を進み, 2つの
狛犬がある三峯神社に下りた。小さな峰を越えていき, これに
4時間半はかかった。ケーブルカーには乗っただろうか?
ところで, その後, 途中の道が度々崩壊して, 現在は東京都
水道局が管理者であり, 鍾乳洞は一般禁止になっている。A.1)
その次は, 長野県境に近い群馬県の本白根山 (2171 m) と
湿地をもつ弓池であった。出発点の記録がないが, 草津町から
5ー6 kmの距離である。晴れの夏で, 火山の荒れた硫黄の臭気
と植物が育たない溶岩の土壌であった。火山には登りたくない
ものがある。山から北に下って, 水がせき止められた火口湖の
弓池に着いた。30分で一周すると湿性植物が楽しめるらしい。
宿泊は夫婦・家族向けのバンガロー群で, 夕食は自炊だった。
使うため薪を売っていたが, キャンプで使う缶入りの固形燃料で
ご飯を炊いた。A.2)
Note:
A.1) https://physique.isc.chubu.ac.jp/Gallery800-1.html
青岩鍾乳洞の様子。三峰ロープウェイは老朽化で, 2006年初夏
に廃止。夏も涼しいところだが, 復活には今後も人が来るか?
A.2) https://physique.isc.chubu.ac.jp/Gallery800-3.html
草津白根山は活火山である。スキー屋が多い2018年1月に
前触れなしで噴火して, 火口の一帯は入山禁止となった。
火山は面白く見ている風潮があったが, 本白根山のゴンドラ
から100 mに火口の一つが形成された。現在は地震微動は
見られないが, 草津町殺生と万座三差路間は規制の注意。
[1'] 初めての谷川岳
6,7歳のころ, 土合からロープウェイに乗り, 谷川岳の天神尾根
を登った。谷川岳は子どもには大きな山登りだった。土合山の家
を朝出発して, 秋で晴れから午後は曇りになった。なだらかな
道が頂上へと続いていたが, 前景が迫り尾根がリッジ状のところ
があった。手巻きの8mm Movie (8mmで半分終わると, リール
を反転して撮影, 手間がいる) で幾度と同じシーンの撮影を
行っていた。午後2時から3時ころ, 霧雨の降り出したなかを,
谷川岳頂上に近い肩の小屋に着いた。
天気が急に変わるのは谷川岳では多くあり, 外は霧で寒かった。
ところで, 素泊まりでも水は雨水(天水) を利用しており, 貴重品で
あり, お茶はもらえなかった (山岳部であれば理解したことだが)。
そこの頂上を踏むことはなく, すぐに下山を決めた。谷川岳の
頂上はこのときは夢に終わった。A.3)
曇りの同じ尾根を下ったが, ロープウェイの最終便には間に
あわず, 途中の熊の穴避難小屋から右に行く急な道を水上温泉
へ降りて行った。日がとっぷり暮れた午後6時すぎ, 1軒だけの
谷川温泉にとにかく辿り着いた。しかし宿泊を断られた, 所謂
老舗旅館であった。タクシーが人を降ろして, そのあと水上駅へ
向ったが, 意外と近かった。今の時刻表を見ると, 下り電車は,
17魏42分と20時52分であり, 土合駅まで最終に乗車したと
考えられる。水上市街は駅前から大きなメインストリートが
なだらかに下り坂が続き, 夜でも電燈が明るい町だった。
Note:
A.3) 谷川岳の稜線では水は枯れている (2025年)。肩の小屋
では雨水に依っている。もし登頂したときは, 同じ天神尾根を
下山か, 北の尾根を行き土樽駅を目指したのだろうか?
コースの, 肩の小屋-避難小屋-二股-谷川温泉で記載
されて, 急下降の避難ルートである。谷川温泉から水上町へ
は徒歩で約30分。
[2] 芝倉沢での雪技訓練
付属高校の西の端は高台になっていて, 音羽坂の低地だった。
その上には富士山と丹沢の蛭が岳, 右には奥秩父の山々が, その
右端には遠く秩父の武甲山が見えた。放課後の部活では校外
ランニングを行い, そして最後の筋力トレーニングでの「山」の
副産物だった。B.1)
土合駅の下り線は地下深くに1967年秋に開通したが, これ
の翌年の高校山岳部のときである。東京上野駅を夜行に乗った
のだろう。午前4時ころの朝早く土合駅に到着して, 地下階段を重い
横長の "ザック" (荷物。今では人に迷惑ならないヨーロッパの
縦長タイプ) を背負って地上に出た。いきなりきつい歩荷だった。
そのまま歩いて川を渡り, 丘を登って水平の "旧道" を行った。
夜が明けていき, 約30分でマチガ沢出合道沿いにテントを設営
した。B.2)
そしてサブザックを背負い, 1時間くらい歩き, 芝倉沢の旧道出合
に着いた。ここで8本爪アイゼンをはき, 1 kmほど上流, 右岸の
支流が開けた雪渓に到着した。まず雪斜面の歩行を繰り返し行い,
それからピッケル, アイゼンを用いた滑落防止の訓練を行った。
4月下旬の通年行事であり, 訓練のあいだに喉が渇き, 休憩に
水や特製パンを食べた。
テントに戻って夕食を作った。メニューはカレーと思われるが,
普通カレーを使わなかった (重いから)。片付けを済まして, 山の歌を
みんなで歌った。大正時代の創作という付高山岳部の部歌を合唱
した。「...梓川... 蝶が岳... 思い出すは懐かしき, かの連岳
君見ずや」 は, 穂高岳や槍ケ岳を指す歌だった。夜寝ていると,
嵐 (ストーム)がやってきたが, よい思い出だった。B.3)
翌年の4月, 別団体の一人がピッケル片手で滑降の真似事 -
グリセード - をして大岩を乗り越えてクレバスの隙間に落ちた。
まるで映画を見ているようだった。教訓として, 雪技技術は
ピッケル操作を確実にマスターするためである。
3年目は準OBで, いつもの雪渓での訓練のほかに, 白毛門
を目指した。積雪が結構あったクマザサの静かな道であった。
風が直接に当たるピークの手前で引き返した。
Note:
B.1) 高台の坂になっている麻布の家からは夕方の富士山の
濃い姿がよく見えた。西の高台に同じ名前の某フィルムのビルが
立ち見えなくなった。昭和40年ころの話だが, 遠景では見える。
B.2) 旧道の国道291号は, 山を越えた清水峠の先で終わっている。
明治18年9月, 皇族や官僚などが開通を祝い一級国道となった。
しかし翌月の台風で道が崩壊, たび重なる雪崩で清水峠から先は
復旧されず,この区間は廃道となった。(Wiki 清水峠 を参照)
B.3) OBたちは寒く水を飲まなかったが, 高校生の訓練を
見守った。早大と日大の人, 30歳の人もいて賑わっていた。
30年後の5月に, 残雪期の奥穂高岳に登頂したが, アイゼンと
ピッケルを使用, とくに下山に必要だったのは, 高校山岳部
のお陰である。
[3] 谷川岳から茂倉岳の縦走
マチガ沢の旧道出合から遡行を開始して, 西黒尾根の中間地
に合流する, 谷川岳を目指する大学生の一人旅だった。初夏の
強い雨で電車が一時止まった。夜になって, すぐ北側にある
土合山の家に泊まった。線路を超えずに国道291号に出られる。
翌日は快晴で, マチガ沢の沢沿いに歩いた。中ほどから左の
尾根道に「サンゲ岩」の下で合流して, 3大急登の岩稜風の道を
登った(3大急登と呼ばれる)。何カ所かはロープが張られ, 天気が
よく爽快だった。背後には白毛門から続く稜線が見えた。
午後3時ころに, 3つの道が交わる肩の小屋に着いた。C.1)
夕暮れには時間があったので, 谷川岳のオキの耳へ行った。
霧でもあり, 南向きで広く傾斜した草原である小屋に戻った。
小屋はまだ増築をしない単純な造りだった。晩の御飯として
アルファ米チャーハンと食後にカルピス飲料だった。
3日目は霧であった。近い頂上であるトマノ耳に登り, そして
15分離れた最高点のオキノ耳 (1977 m) に立った。そこからは
少し下った岩稜を注意深く歩いて行った。一段低くなった鞍部が
あり, 谷を見下ろす「覗き」があった。はるか下に一ノ倉沢の雪渓
といくつも折り重なる岩稜がかすかに見えた。そこから北側に
登り返すと, 笹竹に覆われた一ノ倉岳に着いた。横にカマボコ型
の3畳位の避難小屋があったが, 霧で印象はなかった。秋の
紅葉では, トマノ耳とオキノ耳の秀峰の写真で見たことがある。
悪場をすでに過ぎ茂倉岳のあたりに来ると, 霧がゆっくり消えて
いった。雨上がりの7月半ばの9時ころで, 斜光に歩く後光が射して
いた。2時間の稜線の山旅。ハクサンイチゲ(白), シラネアオイ(紫),
シャクナゲなど, まばゆい黄色の植物に取り囲まれた。西に方向を
変えて, 茂倉新道を快調に行き, 初めての土樽駅に下山した。C.2)
Note:
C.1) 燧ケ岳(2356 m)は 谷川岳(1977 m) から, 水平距離は
33 km, 東北東。福島県以北 最高峰。晴れであり見えたはず。
C.2) 下り時間は山と渓谷誌では約3時間となっている。
この先には松川環状ループがあり, 上り線のトンネルである。
[4] 水上温泉の研究会
まだ高温プラズマの研究だけを行っていたときである。
水上温泉の町で短い研究会を行い, 午後は公式のオフタイム
とされ, ホワイトバレーみなかみ (1986開設, 名称変更は2024年)
でスキーを行った。研究と遊びが渾然一体という風潮であった。
谷川岳の下山で通った二股から東隣にあるスキー場である。D.1)
Note:
D.1) 多くの理論があるが, 地球後方での磁気リコネクションを
証明した (JCP, APS 1995)。はじめにデバイ長を越えた計算機
シミュレーション法を開発した。そして, 電子, 陽子が慣性運動で
別々に究極点へ収束して, それがそこを脱出することを示した。
もし物理が好きであれば解説します。
「谷川岳と湯檜曾川」の写真はこのページに表示しますが,
文章は Gallery803.html に書きました。
Go to Gallery803 (次ページへ続く)


芝倉沢手前を行く旧道。清水峠を越えて終わる国道291号


旧道からの一ノ倉沢。一ノ倉岳頂上は右側の背後に
積んである材木は冬の暖房用?上は国道291号の旧道

