



Note:
1) 現在沼田駅から大清水へのバスは8:45から13:05の5本, 上毛高原駅
からは沼田駅を経由して, 8:15, 9:37, 10:15の3本のみ。鳩待峠は戸倉から
14:30, 夏は15:30が最終,。駐車は有料で, 11月3日以降は閉鎖する。
2) 登山道開拓史―燧ケ岳, 星段吉氏が拓いた「温泉小屋道」, 公益財団
法人尾瀬保護財団 2025年11月11日。
3) 宿泊料金は異常に高くなり、尾瀬では1名2食付き14,000円 (素泊まり
10,000円)から。昔の東電小屋では2倍の宿泊者を泊めた話がある。
4) 富士見下のバス停と駐車場は廃止された (2017)。鳩待峠からアヤメ平,
富士見峠は尾瀬の秘境である。至仏山北方から景鶴山などは入山禁止。
夕刻の笠ヶ岳と白毛門。上り午後は12:41, 14:33, 15:33, 18:19。.
午後3時半の電車に乗って湯檜曾川を後にした





2005 Fall, Fuji Provia 100F、Canon EOS3 28-135 mm

芝倉沢近くで上越国境の峰


土合駅上り線の駅舎, 単線だった頃
一ノ倉沢出合い駐車場 (いまは閉鎖)
マチガ沢と一ノ倉沢の間からの朝日岳(左),
笠ヶ岳と白毛門(右)。新道は川より高いところを行く

幽ノ沢の遠望
芝倉沢手前の芝倉沢見張所

新道を芝倉沢へ向かって進む
私が歩んできた谷川岳の山旅。子とものころの谷川岳, 高校山岳部のとき,
大学生の山旅, 研究を始めたころ, 初秋の谷川岳と湯檜曽川, 尾瀬の思い出。
[1] 初めての谷川岳
秋の6,7歳のころで, 土合からロープウェイに乗り, 谷川岳の
天神尾根を家族で登った。土合山の家を朝出発し, 晴れから
午後は曇りになった。なだらかな秋の道であったが, 前景が迫り
尾根がリッジ状になったところもあった。手巻き8ミリカメラで
幾度と同じシーンの撮影を行ったりした。午後2時から3時ころ,
霧雨のなか谷川岳の肩の小屋に着いた。天気が変わるのは
谷川岳では多くあり, 外は霧で寒かった。ところで, 素泊まりで
あったが, 水は天水で貴重品でお茶がもらえなかった。 (山では
常識は必要)。そのためか, 頂上を踏むことなく下山を決めた。
今回は谷川岳の頂上は夢に終わった。
曇りの同じ尾根を下ったが, ロープウェイの最終便には間に
あわず, 途中の熊の穴避難小屋から急な道を水上温泉へ向けて
降りて行った。日がとっぷり暮れた午後6時すぎ, 1軒だけの
谷川温泉にどうにか着いた。宿泊を断られたが, 所謂老舗旅館
であった。タクシーが人を降ろしたあと, そのあと水上駅へ
向った。水上市街は駅前から大きなメインストリートが
なだらかに下り坂が続き, 夜でも電燈が明るい町だった。
Note: 水上へは徒歩で30分。谷川温泉-二股-避難小屋-
肩の小屋で記載されており, 急下降の避難ルートである。
[2] 芝倉沢での雪技訓練
土合駅の下り線が地下深くにできた (1967年秋) あとの
高校山岳部のときである。土合駅の地下階段を重い横に
広い荷物 (今では人に迷惑でないヨーロッパの縦長タイプ)
を背負って地上に出た。そのまま歩いて, マチガ沢新道出合い
にテントを設営した。さらに1時間歩いた芝倉沢の新道出合い
から1 kmほど上流, 右岸の支流が開けた雪渓でピッケルを
用いた雪技訓練を行った。4月下旬の行事が目的であった。
ある年の別団体の一人がピッケル片手で滑降の真似事を
して, 大岩を乗り越えてクレバスの隙間に落ちた。まるで映画
を見ているようだった。教訓として, 雪技技術はピッケル操作
を確実にマスターするためである。
3年目は準OBで, いつもの雪渓での訓練のほかに, 白毛門
を目指した。積雪が結構あったクマザサの静かな道であった。
風が直接から当たるピークの手前で中止にして引き返した。
30余年後の5月後半に残雪期奥穂高岳に単独で登頂したが,
雪のピッケル使用とくに下山のときに十分役に立った。
[3] 谷川岳から茂倉岳の縦走
マチガ沢の新道出合いから西黒尾根に入り, 谷川岳を
目指した大学生の一人旅だった。強い雨で電車が一時止まり,
夜になって土合山荘に泊まった。2日目は晴れで, 沢沿いに
歩き, 中ほどで尾根道に合流して, 3大急登の岩稜風の道を
登った (あとの急登は知らない)。何カ所かにロープが張られた
「らくだのコル」という岩登りがあり, 天気がよく爽快だった。
午後3時ころに肩の小屋に着いて素泊まり。時間があるので,
谷川岳のオキの耳へ行ったが曇りであり小屋に戻った。
晩の御飯はアルファ米チャーハンと食後のカルピスだった。
3日目は霧で, オキの耳そして15分離れているトマの耳の
頂上に立った。そこから岩稜を注意深く歩いて行くと, 一段低い
鞍部で, 谷を見下ろせる「覗き」があった。北側に登り返すと
笹竹に覆われた一ノ倉岳に着いた。横にはカマボコ型の3畳の
避難小屋があったが, 霧で印象はなし。秋の紅葉ではトマの耳
とオキの耳の秀峰に感動すると写真を見て思った。悪場を過ぎ
茂倉岳のあたりに来ると霧がゆっくり消えていった。雨上がり
の7月半ばの9時ころ, 斜光に北向きに歩く後光が射していた。
2時間の稜線の山旅。ハクサンイチゲ(白), シラネアオイ(紫),
そしてシャクナゲなど, まばゆい黄色の植物に取り囲まれた。
西に方向を変えて, 茂倉新道を行き, 土樽駅へ下山した。
下り時間は山と渓谷誌では約3時間となっている。
[4] 水上温泉の研究会
まだ高温プラズマの研究だけを行っていたときである。
水上温泉の町で短い研究会を行い, 午後は公式のオフタイム
とされ, ホワイトバレーみなかみ (1986開設, 名称変更は2024年)
でスキーを行った。研究と遊びが渾然一体という風潮であった。
谷川岳の下山で通った二股から東隣にあるスキー場である。
Note: 無衝突磁気リコネクション-慣性抵抗理論 (1995) の
アイデアは数年後。計算機シミュレーションの道具により,
慣性抵抗で電子, 陽子がX点で別々に働くことを証明した。
[5] 湯檜曾川を歩く
熊谷の研究所で話をした2005年の秋だった。仕事のPCと
資料, そして山道具が重かった。翌日は湯檜曽川に沿い新道を
歩き, マチガ沢あたりからは静かな山旅気分になった。
Note: 土合口から先は簡易舗装で電気バス以外の車は通行
できない。もとは砂利敷で林道には自動車は入れなかった。
一ノ倉沢出会に着き, この時期で雪渓を持った難しい岸壁群が
広がっていた。遙か上の岸壁ではクライマーが登る姿が見えた。
秋のやや暑い季節であり, 幽ノ沢や芝倉沢では道が沢と峰沿い
を大きく巻いていた。帰り時間があるため, 指導標に従って
川沿いの旧道へ下って行くと, 電力会社の見張り小屋があった。
雷や降雪の冬は送電線の保守の仕事があるだろう。なお旧道は
芝倉沢のさきで道が崩壊していて, 蓬峠へは新道で行く (崩壊
箇所数mは補助ロープを掴めば行けるようだが, 自分の判断で
決める)。稜線を見ると, 上信越国境のこの間越しに見えた。
河原に出て, 湯檜曽川沿いに下って行った。夕刻の白毛門や
笠ヶ岳が静かに威容で鎮座していた。
なお, 最後の上り電車は午後6時すぎである。土合駅から
水上駅までタクシーを利用すれば, 東京近郊ならば可能だろう
(タクシーの都合によっては今日中には東京に着かない)。
新道を一ノ倉沢へ行く。一時期は車が通った


尾瀬の思い出
新幹線上毛高原駅は谷川岳の土合駅から約20 km南にあり,
この駅は尾瀬への出発点として利用される。昔は上越線沼田駅
から尾瀬の入口まで, 長い道路で満員の登山者を載せてバスが
行った。道幅が狭く車の行き違いがあり, 多くの道は砂利敷か
泥の未舗装だった。1)
大清水は尾瀬沼の南の入り口であり, ここから尾瀬沼までは
山越えで徒歩で3時間かかった。三平峠を超えると湖畔が広がり,
尾瀬沼の長蔵小屋があった。そこから尾瀬沼をポンポン船(?) で
対岸の沼尻へ渡った。沼上から見ると, 燧ケ岳は大きい山だった。
尾瀬の環境保護が長蔵小屋主により始まり, エコロジーの高まり
があり, 尾瀬ヶ原の東電ダム計画は50年後の1966年に事実上
中止に, 尾瀬沼の渡船は翌年に廃止された。私は中学生だったが,
燧ケ岳の登山は小学校生のときだった。
昼から「ナデッ窪」 (なだれの巣) と呼ばれる日陰の急登を
登ったが, この登りは3時間以上かかったと思う。頂上は双耳峰で
あり, 東北地方の最高峰である (これは初めて知った)。二つの
頂上は柴安嵓と俎嵓があり, 道順では東の俎嵓に登り, つぎに
西側の柴安嵓である。眼下にはさっき渡った尾瀬沼, これから行く
西の尾瀬ヶ原が見下ろせた。しばらく休憩してから, 柴安嵓から
赤田代へ向かう手入れされていない急な道は, 細かい礫が崩れる
暗い道だった。温泉小屋へ続く歴史的な道は, 平成8年に廃道と
なった。地理院地図を見ると, 燧ケ岳から赤ナグレ岳よりはるか
手前で赤田代へ続く道は消えている (Gallery810 第2図)。
温泉小屋には本物の温泉があり, カルシウム硫酸塩冷鉱泉の
摂氏24度が源泉である。その晩御飯では野草の天ぷら - 人参,
玉ねぎとふき, 海苔の天ぷら - は, 以来家の食事メニューになり,
そして思い出である。2)
朝の尾瀬ヶ原は秋の日和だった。湿原から静かに流れ落ちる
平滑ノ滝と下流の堂々と落ちる三条の滝を見にいった。近くで飛沫
がかかる三条の滝まで片道で1.5 kmくらい。一度宿へ戻り荷物を
受け取り, 尾瀬沼から直接に来れる見晴十字路を右に曲がり,
尾瀬ヶ原を進んた。もう一つの南の入り口に繫がる竜宮十字路で
休んだ (バスは廃止, 後述)。ここの竜宮と呼ばれる現象では, 川の
水が一度消えて, 少し離れたところで水が湧き出る。3度目の山ノ鼻
から東へ尾瀬ヶ原を横断したときは, 初夏午前の晴れで, 竜宮現象
で水が湧き出るところを確認した。ところで, 2列並行の木道は右側
通行であり, 1列のときは登り方向が優先である。
その次では, 樹林により湿原が狭くなっている牛首に着いた。
ここは至仏山と池塘との調和が非常に美しい中田代と上田代の
あいだである。初夏のやや盛りを過ぎた水芭蕉と至仏山が一緒に
見え, 写真で撮影した。しかし, 初めの秋は曇っていて, 遠い景色の
記憶はないが, 川沿いの木々の紅葉, そしてぽっかり眼をあけた
池塘群が綺麗だった。また植物ごとに色の違いがわかる池塘の
すぐそばまで近づいた(いまでは木道から先には入れない)。
山ノ鼻近くでは川が氾濫したところがあって, ズック靴が地中に
潜り歩きにくかった。山ノ鼻に着いて, 天皇が泊まられた「小屋」
を親は選んだが, 私たちが泊まったところは満員で本物のボロ小屋
だった。すしずめで宿泊者を泊めたことは尾瀬では他でも聞いた。
料金はわずかだけ低めであるが, 美しいシャレ―造りの至仏山荘
(東電系列) は当時からあり, この山荘には2度も宿泊した。3)
至仏山は東向きの尾瀬ヶ原では穏やかであるが、反対方向では
崖ができて非対称な山容である。秋が深まってきたときであって,
高山植物が少しだけ見られた。今は周回方向が半時計周りと決め
られ, 頂上から山ノ鼻方向へは降りられない。山の植生を尾瀬湿原
に持ち込まないためである。コースを半周した鳩待峠に着いたが
林道でありバスはない。高度を上げて横田代, そしてアヤメ平に
着いた。初夏はあやめが綺麗と言われるが, 秋は一面に枯れて
広がる草原だった。十字路からは下った山道を富士見下のバス停
まで, 寒い雨の山道を歩いていった。4)
一番美しかったのは, 尾瀬沼のほとりの情景である。夕日が西に
静かに沈み, 小鳥が小さく鳴きながら大きな空がセピア色に染まり
ゆくとき。そして夜があたりを包み込み一日が終わるときだった。
今は観光地化であり鳩待峠はマイクロバスが乗り入れている。
昔を知っている登山者には, 山を越えて見た尾瀬沼と尾瀬ヶ原
それぞれには, 小さな思い出があった。

土合駅下り線を発車した電車
芝倉沢手前の中腹を巻き道を行く。林道は清水峠を越えた先が終点。


静かな旧道を行く
交差している北西へ進む旧道と上の道へ戻る新道
新道からの一ノ倉沢。一ノ倉岳頂上は右側の背後に
土合口 ロープウェイ乗り場は少し先
積んである材木は冬の暖房用と思われる, 上は新道

地上へは462段+20段, 10分の上り坂
清水トンネルを出て土合駅へ,右上は湯檜曽川を渡り上流へ
