南砺市の刀利ダムと塩硝街道
 金沢から南東の湯涌福光線(10号線)を進み富山県に入り,
刀利ダムに出て,五箇山へ車で行った。これは県道ではあるが,
富山県側の下りとダムまでは道が単車線で,狭かった(冬季は
ゲードで閉鎖)。
 刀利ダムは富山県境にあり,黒部ダムと同年代に建設された
アーチ式ダムである。堤高101mあり,ダムと背後の湖水は
立派に見えたが,本体施工は黒部ダムと同じく間組であった。
 *黒部ダムには,剱岳と立山に登り,そのあと一の越から徒歩でたどり着いた。

 加賀塩硝(煙硝のこと)である黒色火薬の製造は,1570年前後
から行われたという。有機物のヨモギや蚕の糞を,囲炉裏の下に
貯蔵して5年の歳月をかけて硝酸カリウムである塩硝を得た。
今の名前で言うと萱沼,相倉,白川集落(これは高山藩,のち
天領)の合掌集落であり,禁制技術であったため,産業がなく
雪深い五箇山は秘密を守る上で最適だった。塩硝は塩硝街道で
五箇山から金沢市内に運ばれ,火薬が製造された(地図に矢印)。
 資料によると,「五箇山産塩硝75%,立山地獄谷産硫黄15%,
地元産麻炭10%」であり,その生産は明治時代ころまで続いた
という。 *金沢市崎浦公民館 https//sakiura.jp/
 
 明治時代になって海外交易が行われ,硝石がチリなどにより
採掘され輸入され,五箇山の塩硝は完全に衰退したという。
また戦後(昭和30年代)は私の記憶にあるが,化学繊維の普及
があり,生糸の生産が下火になったころである。
 しかし転機があり,1980年代に入ると,北陸と名古屋圏の
物流が見直された。1992年の東海北陸道の部分開通から
2008年の全線開通には時間がかかってはいる。この間には
「合掌造り,たたら」など文化遺産として認められることで,
経済・観光による復活を象徴している。(普通は時代とともに
衰退していくことが数多い。)

 刀利ダムの東湖岸を南に行くと,ブナオ峠を越えて五箇山へ
抜ける54号線が塩硝街道である。人里から離れた山のなかで,
純ブナの林がある。ブナオ峠よりは旧名で白山スーパー林道
に近く,藪がひどく道がないため残雪期の登頂が主となる
笈ケ岳
「おいずるが岳」(石川,岐阜,富山の県境)がある。これは
隠れた百名山と言われている。 ところで,54号線は各場所で
土砂崩れのため,私が知る限り長いあいだ通行が不能である
(徒歩ならば通れる)。
 
*深田久弥 日本百名山。百名山の候補であったが,藪がひどく登頂を
  断念した山。深田クラブによる1984年の二百名山のひとつに選ばれた。


 相倉集落へ行くためには,県道10号線に沿って小矢部川の右岸を
進み,城端で304号線で右に折れ南下して山越えする(東海北陸道
は長いトンネルのなか)。五箇山ICの方向を目指して,刀利ダム
から時間は40分ほどである。


刀利ダムは県境にある

金沢湯涌福光線で県境を越えると刀利ダムに着く。
道幅一車線のところを行く。冬季は閉鎖される

Mapionより




アーチ式ダムで黒部ダムと同じ構造。1967年竣工,堰堤 101m

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(相倉集落へ)


金沢市内から東に湯涌温泉へ向かう

刀利ダムの南方は塩硝街道が通っていたところ