Mapionより転載

塩尻駅各駅停車 17:06発車。木曽路を行く(北向きの風景)

木曾街道であった宮ノ越 (17:46)

木曽街道宿場であった奈良井。木曽路を小さな峠を越えた,
観光とともにある町だった (17:30)

下りの特急あずさ

上り特急あずさ

中央東線 岡谷駅に到着。ここから各駅停車に乗り, 16:31発、
新路線は直通で快走であり,16:41に塩尻駅に着く。

塩尻駅は2つの中央線が交わるところ。新宿(左)と名古屋(右)の街は昔も
大きな宿場町だった。地溝帯を行く辰野駅まわりは中央の線路を行く。
かつては特急列車が辰野駅を通り新宿駅を目指したが...

飯田線と中央本線

 右上の写真を見ると,塩尻駅から新宿に行く中央東線と,右端の
名古屋を目指す中央西線は,同じ中央線でも,列車本数と列車
編成の違いが見える。今日乗車した豊橋と辰野そして中央東線で
岡谷までの飯田線は,中央アルプスをあいだにして中央西線と
並走している。
 辰野経由の岡谷行の中央線は,時間がかかり便数も少ないが、
塩尻駅からは線路が別れていく。
 1) 中央東線は16本で基本9両/一部12両,中央西線は13本で基本6両/季節により
   9両で運転)。


 飯田線は長野・静岡・愛知県を結び,長野・静岡の県境では
鉄道が狭いところを多くの橋梁とトンネルで建設された。大嵐駅
と小和田駅のあいだは昭和12年に最後に開通した。一方で,
中部天龍駅と大嵐駅間(上流側)は昭和30年佐久間ダム完成に
よりもとの集落と鉄道は水没するため,”新ルート”が水窪を通った。
北から西向きに長く迂回して, 5 Kmのトンネルて付け替えられた
ところである。
 
2) 崩壊地で行き止まりであった国道152号線の青崩峠(矢印で表示)は,水窪の
  すぐ北にあり,静岡・長野県の県境である。


 飯田駅の2つ手前から飯島駅の間にはΩ(オメガ)カーブが3か所
あり,等高線の同じ高さに沿って大きな円を描きながら電車が
走っている。確かに時計周り(北行のとき)に急カーブが連続する
ところだった。プロが撮影したパノラマ写真にはその様子がわかる
(中部地方整備局,田切地形のビューポイント)。線路は単線で
あり, 電車行き違いのためしばらく停車した。また駒ヶ根駅では
時間調整のため10分間ほど停車した。

 辰野駅は飯田線の終点であり,かつては中央東線の特急あずさ
や急行アルプスが停車した同じプラットホームを今も使っている。
上高地への入り口である松本駅へはここから約30分だった。しかし
岡谷駅と塩尻駅が直通トンネルで結ばれ,今は忙しさの外に置かれた
辰野駅。長いプラットホームや貨物列車を置いたバックヤードは
時間に忘れられている。
 中央本線は東京または名古屋と信州を結んでいるが,この鉄道には
山と旅の記憶が多く思いだされる。中学生時代からの八ヶ岳登山、
乾徳山と奥秩父の山塊, 戸隠山, そして日本アルプス。 とくに白馬岳と
不帰の剣,剱岳と立山, 黒部第4ダムから下流に続く下の廊下を
歩いたことなど。

 飯田線は全線195キロあり,乗り換えが1回あり,約8時間かかった。
開設の歴史と乗客数の数から,秘境線(駅の廃止候補)と呼ばれて
いる。中部天竜駅では下り普通列車では2時間に1本の電車がある。
 3) 例として為本駅では,6-21時において,9,10,12,14,15,18-20時の時間帯は電車がない。
  中部天龍駅では,特急がある午前11時,午後19時(上りは17時)の時間帯には普通列車
  は運転しない。


 岡谷駅に着くと,下りと上りの特急あずさがあいついでホームに
入線した。塩尻から帰りの中央西線は普通列車で約3時間だったが,
青春18才切符のときで老人が多く混んでいた。奈良井と藪原駅は
峠越えをしたところ,須原駅は越百山・空木岳へ登る登山口だった。
夜が暮れた7時ころ,木曽路の入り口である中津川駅に着いた。

 いまでも驟雨で列車で遅れや不通などがあるが,木曾街道と呼ばれた
明治時代以前は山道は険しく,山姥(山賊)を避けるために遠回りの
北陸道が使われたという。なお、伊那街道は飯田から南西では今の
飯田線を離れ,山越えして三州街道となり,東海道の岡崎に至った。



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木曽街道の入り口 中津川に到着 (18:51)

木曾街道宿場であった須原。越百山の登山口  (18:13)



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